COLUMN
インタビュアーの横顔、調査の現場、研究の周辺で考えていること。プロジェクトの記事だけでは伝わらない、その「あいだ」にあるものを綴ります。
「誰に聞くか」が結果を決める。〈有意抽出法〉と〈無作為抽出法〉の違いと標本誤差を、質的調査の視点も交えて読み解くシリーズ第32回。
抽象的な問いを、測れる問いに変える。〈概念化〉と〈操作化〉という二段階の作業を、児童虐待研究の例から読み解くシリーズ第31回。
「心は熱く、頭はクールに」。ウェーバーの〈価値自由〉から、研究者の情熱と客観性の両立を読み解くシリーズ第30回。
私たちは「誰の目」を意識しているのか。規範型・比較型から日本の「世間」まで、〈準拠集団〉という補助線を読み解くシリーズ第29回。
「似ている」ことで人がつながる社会。デュルケームの〈機械的連帯〉と有機的連帯の対比から、近代の変化を読み解くシリーズ第28回。
人生を動かすのは、案外「知人の知人」。グラノヴェッターの〈弱い紐帯の強さ〉から、人間関係と情報の流れを読み解くシリーズ第27回。
「人生」を社会学的に見るということ。コーホートや歴史効果を手がかりに、社会に編み込まれた〈ライフコース〉を読み解くシリーズ第26回。
研究者が「現場」に出ていくということ。文化人類学から都市社会学へ広がった〈フィールドワーク〉の姿勢を読み解くシリーズ第25回。
本番の前に、必ず通る一段階。調査票を試験的に実施する〈パイロット調査〉の役割と「小さく試して学ぶ」精神を読み解くシリーズ第24回。
なぜ今の仕組みはこうなっているのか。QWERTY配列を例に、制度が歴史に縛られる〈経路依存性〉を読み解くシリーズ第23回。
私たちは「モノ」ではなく「記号」を消費している。ヴェブレンからボードリヤールへ、〈社会的差異化〉を読み解くシリーズ第22回。
パニックや流言で群衆が動くとき。パークらシカゴ学派が捉えた〈集合行動〉を、集合行為との違いも含めて読み解くシリーズ第21回。
福祉は「みんな」か「必要な人」か。ティトマスの〈普遍主義〉と〈選別主義〉という対概念から、制度設計の論理を読み解くシリーズ第20回。
なぜ社会は崩壊しないのか。ホッブズが立て、パーソンズが社会学の中心に据えた〈ホッブズ問題〉と社会秩序の謎を読み解くシリーズ第19回。
「公の議論」はどこにあるのか。ハーバーマスの〈公共圏〉を補助線に、コーヒーハウスからSNSまで、議論の場の変容を読み解くシリーズ第18回。
電車で隣り合った知らない人と、私たちは黙って「儀礼的無関心」を交わしている。ゴフマンが見つけた都市のささやかな作法を読み解くシリーズ第17回。
テンニースが見たふたつの社会のかたち──ゲマインシャフトとゲゼルシャフト。近代化が「共同体」から「社会」へ何を変えたのかを整理するシリーズ第16回。
私たちの考えは、生きている社会のなかに「埋め込まれて」いる。マンハイムの知識社会学の鍵、存在拘束性を読み解くシリーズ第15回。
障害は「個人」にあるのか、「社会」にあるのか。障害の社会モデルが個人モデルと何を入れ替えたかを整理するシリーズ第14回。
社会から「外」へ追いやられる人をどう包み直すか──社会的排除と社会的包摂のあいだに、福祉と社会学の両側面から橋を架けるシリーズ第13回。
ジンメルが見つけた「文化の悲劇」──人間が作った客観的文化が、作り手である人を置き去りに増殖していく逆説を、いまの私たちの暮らしと重ねて読み解くシリーズ第12回。
人と人をつなぐ「目に見えない資本」ソーシャル・キャピタル。結束型・橋渡し型・連結型のちがいを軸に、その意味と限界を整理するシリーズ第11回。
なぜ私たちは「らしく」振る舞ってしまうのか。リントン・パーソンズ・ゴフマンらに連なる「役割期待」の概念で、社会と個人の絡まりを読み解くシリーズ第10回。
「現実」はあらかじめあるのではなく、人と人とのやりとりから社会的に作られる。バーガーとルックマンの社会構築主義を、インタビュー研究と結びつけて読み解くシリーズ第9回。
挨拶、行列、敬語──「あたりまえ」のなかに秩序を作り出している人びとの作法を問うエスノメソドロジー。ガーフィンケルが切り拓いた方法を整理するシリーズ第8回。
データから理論を立ち上げていくグラウンデッド・セオリー。グレイザーとストラウスが切り拓いた方法と、Tapi在野研究ネットワークのインタビュー研究の接点を読み解くシリーズ第7回。
質的と量的、ふたつの調査スタイルは対立ではなく補完関係。Tapi在野研究ネットワークのインタビューがなぜ質的なのか、その意味を整理するシリーズ第6回。
デュルケムが『自殺論』で示した自殺の3類型──自己本位的、集団本位的、アノミー的。個人の最期の選択にも社会の状態が映ることを、社会学の古典から読み解くシリーズ第5回。
日常の「あたりまえ」はどう作られるのか。シュッツが提唱しバーガーとルックマンに引き継がれた現象学的社会学を、Tapi在野研究ネットワークのインタビュー実践と重ねて。吉岡詩織が整理するシリーズ第4回。
シカゴ学派の移民研究にルーツを持つ「ライフヒストリー法」。100年前から社会学が大事にしてきたこの方法を、Tapi在野研究ネットワークがいまどう使っているか。吉岡詩織が整理するシリーズ第3回。
デュルケムが「物のように観察せよ」と言った社会的事実とは何か。個人の外にあって個人を拘束する社会の側の様式について、吉岡詩織が整理するシリーズ第2回。
ミルズが1959年に提示した「社会学的想像力」。身近な出来事と社会全体を行き来する翼を、Tapi在野研究ネットワークのヒーローコピー「ひとりの人生と、社会の歴史は、どちらか一方では語れない。」と結びつけて。
qbc(栗林康弘)への吉岡詩織のインタビューを、編集・制作を担当した本人が後日読み返したコラム。「子どもを持ちたいのは本能ではなく社会的欲求」と語った自分自身の言葉を、編集者の目で見直す入れ子構造。
39歳で出産、中学2年生の息子と暮らす向山さんが語る「自分の選択を、正解にするために生きる」という人生観。子どもがいるのを当たり前として育った人の、地に足のついた肯定の言葉。
放任主義の家庭で育ち、表現活動を続けながら子を持つ未来を考えている田中さん。聞き手から共有された「祈り」の話を自分のものとして受け取り直す瞬間と、過剰な言語化への違和感。
20代前半は「自分の遺伝子は残さない」と決めていた松江さんが、妻のために子作りをして男児を授かるまで。男性の産後鬱、男性ならではの「自分の体から生み出せない寂しさ」を率直に語った一本。
一人っ子で育ったメケさんが「シンプルにやってみたい」と語る、子どもへの素朴な希望。ゲーム禁止の経験を反転させた育成論と、自分の遺伝への懸念。世代間の伝達と切断のあわい。
大工として働くようさんの、「子どもをどっちかというと持ちたい」と「自分の血を受け継がせるのは、その子にかわいそうかも」のあいだの揺れを、編集者として読み返した一本。長く続いた自己否定からゆっくり肯定へ向かう、ナラティヴの書き換えのプロセス。
「子どもを持つ理由・持たない理由」プロジェクトで公開されたシャロ坊さんへのインタビュー(聞き手:吉岡詩織)を、媒体の編集・制作を担当した私(qbc)が読み返した一本。結婚や子作りを「せざるを得ない」と語りつつ、同時に「普遍的な勇気」と呼ぶ独自の世界観を、社会的事実という社会学の概念とつなげて読み解きます。
吉岡詩織という人を紹介したい。社会学の研究者で、会社員で、一児の母。「子どもを持つ理由・持たない理由」というテーマで何十人もの人にインタビューをしてきた人で、今は「仕事・育児をしながら創作をする理由」という次のテーマでも動き出している——。